2007年04月06日

戦後の伊勢佐木・若葉町の風景

『空港の街』の由来は、第2次世界大戦後、
伊勢佐木町・若葉町周辺はアメリカ軍に接収され、
移動用の、軽飛行機〈セスナやヘリコプター)が離発着できる滑走路が
あったことに由来してます。

意外かも知れませんが、アメリカの影響が色濃く残っている街です。
現在は、韓国・タイなどのアジアのくにぐにの方々が多く住む
エスニックタウンになっています。

そんな、国際的な情緒漂う、この下町の歴史風景を
順次、このページでは写真、絵などのUPを通じて
皆さんにご紹介して参ります。
特に、昭和20年~30年代までの貴重な写真を中心に、と
考えております。

どうぞ、お楽しみくださいませ!


戦後直後、滑走路への案内板の前に立つ少年。



伊勢佐木町1丁目 「不二家」周辺の風景(絵葉書より)



昭和20年代前半、PXとして接収された「松坂屋」



吉田橋から見た伊勢佐木町(絵葉書・写真より・3枚)

まだ、川があった頃ですね。今は、首都高速道路になってしまってますが・・・。
昭和40年代生まれの自分は、初めて、川があった頃の風景を見ました。〈筆者談〉









伊勢佐木町3丁目「オデオン座」の風景
  


Posted by 045の082(初代若旦那)  at 08:44Comments(7)